howa no moco's note

毒親、HSP、引きこもり、女性性ゼロから人生立て直す

今度こそ・毒母との直接対決①

前回は禊として自分の半生を振り返ったが

今回はいよいや母親との「直接対決」について。

 

かなり歪んだ思想を持って挑んでいたので、

ツッコミどころ満載なのは自覚している。

この記事を見かけてしまった方はどうかご容赦願いたい。

 

しかし、ある毒親持ちの経験として、参考になれば幸い。

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私は…

いわゆる過保護過干渉タイプの毒母持ち。

母親の望む学校、母親が仲良くしてもいいと思う友達、部活、バイト…

ありとあらゆることに口出しをされたし、

20歳過ぎても、部屋を勝手に掃除され、付き合う異性を根掘り葉掘り尋問し、人の成長にはもれなく冷やかされ、からかわれ…

例を挙げるとキリがないくらい様々な人権侵害を日常的に繰り返されてきた。

 

幼少期から30歳になるくらいまでは、母親のために生きることが私の生まれてきた意味だと思い込もうとしていたが

しかし、それはどうやら本当の私にとっては不本意だったらしく、ある日突然限界がきて母親への憤り恨み憎しみを大爆発した。

 

そこから、10年以上にも渡り毒母との「直接対決」が始まったのだった。

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初戦

父親が病気になり、介護が必要になり始めた頃だろうか。当時、私はちょうど派遣先から切られて無職。母がメインで介護していたが私もオムツを買ったり、父親を起こしたり少しではあるが介護を手伝っていた頃だったと思う。ストレスが溜まっていたのかもしれない。

 

ある日突然、積もり積もった母親への怒りが爆発した。最初は母親に自分の本音を言うなんて、全知全能の神に反する行為のような気がして、涙ながらに言葉を振り絞っていたことを覚えている。

その日はずっと体がガクガク震えていた。

恐怖もあったけど、「よく言った!」と自分を

誉めたいような、嬉しい気持ちが湧き上がったことをよく覚えている。

 

 

対決パターン

それから年に数回対決をした。同居しているためか、他の人よりも頻度高めかもしれない。

頻度高めの割には、何も進展がなかった。

そうなのだ。いつも実りのないパターンで、いたずらに溝を深めるだけで終わってしまうのだ。

 

①基本的に人の話は「違う」と否定。

昔のあれこれを話しても「してない」「覚えてない」「なんでそんなに意地の悪いこと言うの?」の一点張り

 

②自分(母親)の話にすり替えられる。

「私も苦しかったのよ!」と夫への恨みつらみ、母親(祖母)への怒り、私達子育ての苦労などを私にぶつける。お決まり文句は

「あんたは子ども生んだことないからわからないのよ!」

「私だって一生懸命だったのよ」

「私だって苦労したのよ!」

 

③母親が泣きじゃくって強制終了。

散々自己憐憫に付き合わされ、気が済んだところで和解したことにされ、強制終了。

もーー!コレ!毎回!

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判をついたように。どうにか回を重ねるごとに話を進展させようと試みるが、いつもこの流れになってしまう。

 

それでも「今度こそ!今度こそ分かってもらえる!」と信じて私は対決をし続けた。

 

母親に「謝罪」してもらう日、

母親と「和解」できる日を目指して…

 

「和解」には「謝罪」が必須!?

対決するほどに溝が深まるばかり。色々な毒親持ちの体験談をネットで調べると、「仲直りした」というものばかり目につき、「私の母親はなぜわかってくれないのだろう?私の気持ち、分かって!お願い!」とにかく分かってほしくて躍起になった。

 

なぜこんなに「謝罪」と「和解」にこだわっていたのか…

 

「謝罪」は、母親に自分の子育ての駄目さ加減を自覚させたくて。

母親が「私の子育てが間違ってました。ごめんなさい」と非を認め、謝罪してもらえて初めて私の人生が救われる、動き出す、と思っていたからだ。

 

家族と和解=経済的豊かさ

また、以前シータヒーリングのインストラクターから「家族と和解しなければ経済的豊かさはやってこない」と言われたことがあった。

 

派遣社員として働いている私はやはり不安定。

なかなか経済的自立できない。

 

要は

「和解さえすればお金がやってくる。そうすれば、独り立ちできて母親から離れられる」

と思い込んでいたのだ(爆)

 

生半可家を出たとしても

また、姉は早くに家を出たことも深く影響している。姉は普通の子どもらしく、思春期に親に反抗して家を出て行ったが、出たり入ったり。母親と激しく言い争う場面や、私には怒ったことのない父でさえ姉には激しく怒っていた場面をよく見かけた。怒る父の姿を見て、

「あぁ、姉のように家を出てはいけないな」

「家を出ることは家族に迷惑かけることになる」

という思い込みが無意識でできたのだと思う。

 

それからスピを学んでから

実家を出て母親から離れたとしても、その人との問題を解決していなければ同じような人が身代わりで現れ、再体験が起こるという。

だから中途半端に逃げ出さず、解決してから家を出ようと、硬く硬く心に誓っていた。

 

だからこそ、とにかく母親に「謝罪」してもらわなければ…

 

その日を夢見て、たとえ同じパターンで玉砕されようとも戦っていたのだった。

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②へつづく