Y's note

アダルトチルドレン×強度HSPの引きこもり体質の生きづらさ解消日記

入院して手術したときのこと⑤

前回からのつづき。

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目次

新メンバー

さて、私がいた病室は軽度の人達が入る部屋らしく、次々に退院しては他の病室から移動してきて、比較的に頻繁にメンバーが入れ替わっていく。

 

突然私の隣に入ってきたのは、ちょっと記憶が曖昧な80歳のおばあさん。

 

看護師や医師や療法士さんが訪ねてくるたびに長〜いトークが始まる。


「名前は、それなんて読むの(おそらく名札見ながら)?」
「生まれは?」
九州生まれと聞くと決まって「じゃああなた武士の家系だわ!私の叔父が小早川の方で…」と自分の血筋についての話が5分くらい続く。

 

ここでトーク終了に失敗すると
「バイト先で引くて数多で色々な場所へ駆り出される話」

「コロナのせいでコンビニでトイレを借りれなくなって困る話」

「携帯電話の充電器を忘れて電池切れしそうだから娘と連絡取って欲しい話」

3話をランダムに、何度も、延々とされる。

 

1周付き合うと15分くらいになるだろうか。

 

あぁ、志村けんがやってたおばあちゃんコント、リアルなやつだったんだ…

 

 

それを、時にやさしく時に冷たく、おばあさんに不快な思いをさせないように絶妙に受け流す皆さん。あのトーク力、スルースキル、本当に素晴らしい。

 

一応言っておくが、お部屋の人の話にわざわざ聞き耳を立てていた訳ではない。

 

大部屋の薄いカーテンでしか区切られていないゆえ、聞きたくなくても聞こえてきてしまうのだ。

 

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そんなある日の、深夜2時。

 


やっと眠れるかな…と、まどろみ始めた時
かつて仕事帰りに憩いを求め、通い詰めていた「ドトール」で流れていた曲が何だったのかを思い出したくて、YouTubeで捜索活動を始めてしまった。

 

誰かが「ドトール夜」というプレイリストを作ってくれていたので聴いてみるが、肝心の思い出したい曲だけない。


Google先生にもお願いしたのに、それらしき曲だけ見つからない。
あの、19時頃かかっていたメロ〜でム〜ディ〜な…80年代っぽいアメリカの?…

「思い出せない。く、苦しい…。」

 

数日前の「なつぞら」と同じ現象をまた起こしてしまった。本当、これ何??
(曲は、Cicagoの『Hard To Say I'm Sorry』で落ち着いた)

 

あぁ、気がつけばもうすぐ6時。起床の時間。間もなく看護師さんが体温と血圧と脈拍を計りにくる。

 

ICUから、いや入院した日からろくすっぽ寝てないのに、せっかくの睡眠チャンスを自ら逃してしまった。

 

 

6日目〜9日目(一般病棟4〜8日目)

痛みも少しずつ和らいで歩けるようになってきた。

グロッキーな数日間は何もかも不自由でもどかしく、気が立っていたけど、ようやく平常心が戻ってくる。

 

今まで運動できなかった分、動こうとフロアを徘徊。看護師さんに「ここまで歩いてる人見たことないです…」とドン引きされるほどアグレッシブに歩きまくったため、腕の点滴の針がズレて何度も打ち直してもらう。

 

しかも私の静脈は見つけにくいらしくてみんな苦戦する。
「何度もすみません」と謝ると「動いた方が早く治るのだから、良いことですよ。何回でも直すからズレたら言ってくださいね」と言ってくれた。…やさしい。

 

 

背中の麻酔、腕の点滴、お腹のドレーンが抜け、晴れて自由の身に。

 

痛みはたまに激しめのやつがくるけど、腹筋を使ったときやお腹がぐるぐる働いている時だけなので最初に比べれば楽なものだ。

 

そして…1週間ぶりにシャワーを浴びることができた。


ICUでかいた大量の寝汗と日々の運動の汗で頭皮が大っっ変なことになっていたので本当に嬉しかった。

 

3回シャンプーをしてやっと頭さっぱり。

 

そんなことしてたら長風呂になってしまい、途中で看護師さんが安否確認に来た。

 

 

食事の記録


食事は流動食→重湯→お粥と、徐々に硬くなっていく。

病院食ってまずいと聞いていたけど、この病気のお食事はどれも美味しかった。


重湯あたりから記念に写真撮ってみた。↓

デザート「ババロアN」はいつかの給食に出たような、体に良いのか悪いのか?と思う味。エモい。

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和食に「牛乳」。
食べ合わせ無視な感じがこれまた昭和の給食っぽくてエモい。

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これは白身魚か鶏肉か?
密かに謎肉と呼ばせてもらっていた。(味はめっちゃ美味しい)

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段々形が普通になる

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この卵焼き、めっちゃ美味しかった〜

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退院当日の最後の食事は食パン!
普通の四角い食パン!!
そのお供には今や悪名高きマーガリン。

まさか病院でお見かけするとは…

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食事が重くなるたびに医師と栄養士さんが食べ終わる頃にチェックしにきて
完食したお皿を見ては「おお〜!!」と嬉しそうに帰っていく。

 

執刀医の先生、外来のときは怖そうだったし看護師さんからも厳しめと聞いたけど
実際のところは来てくれるたびに「大丈夫だよ」とゲロゲロ状態の私の膝をぽんぽんしてくれていっぱい勇気づけてくれて、とてもやさしくしてくれた。感謝でいっぱいだ。

 

何せ、ある意味私よりも私の「内側」を知っていると思うと、妙な気持ちになり、お医者様ルック+マスクなど色々補正も加わり、つい目がハートになってしまう。笑


8日目に「最終試験」のレントゲンと採血の結果もよく、普通のお粥が食べられるようになったので晴れて退院させてもらうことになった。

 

そして、退院

しばらくの間食事制限せねばならないため栄養士さんから食材についてレクチャーを受ける。

 

退院の手続きをして晴れて病院を後にする。

 

 

久々の娑婆の空気。笑

 

 


たった1週間ちょい入院してただけなのに、なんだか湿度が高くなってる。

 

Tシャツで丁度よい。季節は進んでいた。

 

 

 

思わず最寄りのスタバで1杯。カフェインNGなのでディカフェで。

 

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無事帰宅。
こうして、8泊9日の入院生活が終わった。

どうやら大腸にできた腫瘍は癌ではなく内膜症らしい。

今後、術後しばらくは外科、そして婦人科、乳腺炎の経過観察のため乳腺外科に世話になる。

 

結局、「婦人病」らしい。

女性であることを否定してきたし、母親への不信感もあるので妥当っちゃ妥当か。


先生も看護師もみんなやさしくて、食事も美味しいし、3食作ってくれて上げ膳据え膳、ぐうたら過ごすのが仕事、ちょっと運動したり食べられただけでめっちゃ褒めてくれた入院生活。

 

色々不便もあったけど


またあの機能不全家族のところに戻ると思うと憂鬱で、また具合悪くなりそうで、ちょっぴり名残惜しい。

 

でも病気を罹って出戻りすることなく、健康でいることが病院のみなさんの願いだろう。

 

 

お腹の傷も最初はショックだったけど、私の命を救おうとしてくれたみんなの愛ととらえると、嬉しい気持ちにすらなる。

 

 

体のことも、私の大切な一部と受け入れた「新しい日常」へ戻っていこう。

 

 

当時の出来事と気持ちの備忘録。

 

確かに病院へ感謝の気持ちがあった。

 

でも今は…

 

 

通院編へつづく