ノンデュアリティにどっぷりハマってからというもの、スピリチュアル系にはめっきり興味がなくなっていた私だったのに、最近、星占いなんぞに興味津々なのである。でも、気づきがあったので書き残す。

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YouTubeで突然オススメされた星占い
2026年2月頃、YouTubeのおすすめに突然、占星術の動画が大量に出てきた。サムネに「牡羊座」うんぬんと書いてある。
私は太陽牡羊座だ。ちょっとだけ、目が止まる。まあ、占いだしと思って無視した。でも見るたび見るたびに、視界に入ってくる。根負けして、ポチッとしてしまった。
よくよく「土星と海王星のコンジャンクション」というもの。320年ぶりに、牡羊座の0度、占星術でいう「始まりの場所」で起きた大きな節目。いかにも西洋占星術界隈がざわつく話題。サムネイルも皆、びっくり仰天!に仕上がっている。
そもそも西洋占星術は、一番信じていない占いの一つだった。昔は人並みに本だったりの特集を見てはいたが、太陽牡羊座も月蟹座も、どちらもしっくりこなかったから。だから占いなんて、当たるも八卦当たらぬも八卦程度にしか思っていなかった。
月の欠損理論との出合い
それが変わったのは、コンジャンクションの動画を見ていたら、関連動画でマドモアゼル愛氏の動画が現れたときだった。『月の欠損理論』なるものを提唱していた(そのとき「マドモアゼル愛」って男性だったのかと初めて知った)。
月星座の性質は「得意なはず」とされているが、欠損理論では、それは7歳レベルの能力しかなく縁がないもの、なのに追い求めてしまうもの、らしい。
で、その幻想を打ち破るには、月の能力はないものと割り切り、太陽星座か月星座の正反対の星座を活用せよ、みたいなことらしい。
聞いた瞬間、「あ、これだ」と思った。
はじめはショックだった。今まで得意なはずだと信じて頑張ってきた人間関係。でも、7歳児の知能でやってた感じはある。母性とは程遠く、また身内からも適切な母性を与えてもらえた記憶もない。
また最近では、人の気持ちがまるっきりわからないし、わかりたいとも思わないと、実は思っていたことに気づいてしまった。本当に人手無しな私。だから、もう、その理論に降参するしかなかった。
すっかり星占いにどハマり
そこからネイタルチャートを読んでAIに鑑定してもらった。
自分の性質、過去の家庭環境、学生時代の生きづらさ、人生の転機。その時期もピンポイントで指し示されていた。
その後も西洋占星術系YouTubeを見てみると、生年月日、生まれた時間、出生地、が正確にわかれば、自分の設計図、人生の羅針盤として使えるらしい。
幸いにも、生まれた時間を把握していたので精度の高い鑑定ができ、人生の棚卸しをする機会がもたらされた。
どうやら私は、家族とか、そういう無条件に人とつながれるという、人間の多くの人が持ってるであろうプラチナチケットを元々持ち合わせていないらしいのだ。
そして、牡羊座的に自分本位に、山羊座的に淡々と同じ価値観・目標という割り切った関係でつながるのが良いらしい。
なんだそれで良かったのかーー
やはり寂しさもあるけど、
それ以上に心の荷物が降ろされた感じがした。
未来のことも見てみた。
ここまで過去の出来事が当てはまるのだったら、未来の予測もできるのでは?と。
しかし、こればかりはどうなるかわからない。
「地獄に堕ちるわよ」と言われて本当に堕ちた人はどれくらいいるだろう?
人生の羅針盤として機能するのか、今年の年末にでも振り返ってみるとする。
非二元ノンデュアリティ探求で私を知る
非二元ノンデュアリティを学び実践を続けていくと、不思議なことに「私」について理解が深まると同時に「私」が、遠くなっていく。
噂には聞いていたけど本当にそうなってきた。
だんだん自分と距離ができる感じ。
私の場合は、一瞥体験のようなものはなく、スピ時代と同じように玉ねぎの皮を剥くように、少しずつ確実にという感じ。
それって怖いことなのかな?寂しいことなのかな?と思っていたけど、そんなことはなかった。かと言って、嬉しいわけでもない。至って淡々としている。
「私はいない」とか、相変わらず理解できないし、自動思考も消えないけど、そういう概念はどうでも良いと思えてきた。
最近は非二元・悟り系のYouTubeすら見なくなる。本当に暇な時間が増えきた。
最初はそれに耐えられなかったけど、勇気出してぼんやりしてみると、案外悪くないもんだ。でも、やはりすぐ居心地悪くてどうでもいいYouTubeとか見てしまう。それもつまらないときは、エックハルト・トールのインナーボディの瞑想で体に意識を向けてひたすら観察することにしている。
そしたら、今までへばりついていたアダルトチルドレン的思考が剥がれ落ちてきた。
もっと気楽に生きていいんだ。
我儘に生きていいんだ。
それが許される環境に身を置いてもいいんだ。
無力感、無価値観はただ毒親に植え付けられただけ。
あいつのように逃げていい。合わないから逃げるのは当然の行動だったんだ。幼少期あたりにも更年期と思春期の凄惨なプロレスを見せつけられたから反面教師にしてしまっただけだった。
それだけのことなのに、自分を縄で括り付けてしまったいた。
そばにいなければいけない、そうでしかないなんて、そんなん呪いでしかないんだ。
長年の呪いが、どんどん解かれていく。
同時に「私」がだんだん遠くなっていく。
流れは数年前よりも、確実に速くなっている。





