Y's note

アダルトチルドレン×強度HSPの引きこもり体質の生きづらさ解消日記

検査〜入院〜通院生活で思ったこと②

前回からの続き。

 

 

 

 

病院て思ってたより嫌なところじゃなかった!という内容だったが…

 

そう思えたのも束の間だった。

 

 

■命さえつながっていれば

当たり前といえば当たり前ではあるが

 

今回ICUで術後、一時的に呼吸器をつけたが、喉に刺さって苦しくてむしろ窒息しそうだった。

 

病院側としては、乱暴な表現をしてしまうが、心臓が脈打ってれば、患者が吐き気で苦しくても、骨を折って痛くてしかたなくても、全裸でも、気が狂っていてもお構いなしなのだろう。

 

いちいち患者ひとりひとりに寄り添う余裕もないだけなのかもしれないし、そんな必要はないと思っているのかもしれない。

 

とにかく命さえつながっていれば良いという考え方が基本なのだろう。

 

 

 

 

■恐怖を煽って病気を煽る

 

医師は何かと恐怖を煽る表現をしてくる。

「このまま放置してるといずれはこうなるよ」

という表現。

一見普通だし、その時に備えて治療をしていれば、重篤な病に罹らずに済むのかもしれない。むしろありがたく親切な助言なのかもしれない。

 

でも、上にあげた医師の発言はまさに恐怖や不安を煽る言い回しととらえられないだろうか。

 

「この人達に付き合っていたら一生どこかしらに病気を作られそう」と思ってしまった。

 

 

 

■西洋医学は対症療法
 

今回の手術で腸管内膜症と確定診断を受け、婦人科の医師から子宮内膜症の冊子と共に「ディナゲスト」を飲むよう勧められた。

冊子を渡され説明を聞き、まぁ飲むのが妥当だろうなと思いつつもどうも気が進まない。

 

もちろん、内膜症に効果があるものなのだろう。それでたくさんの人が助かっていることもわかっている。

 

一旦保留にし、乳腺外科にも消化器内科にも相談したりしてみたが、口を揃えて飲んだ方が良いと言う。

 

しかし、やはり私の心は動かなかった。

 

なぜならば、手術時の全身麻酔による副作用が出たことと、いつも飲んでいた市販の痛み止め薬を飲んだら発疹がでるようになったことがあり、薬を飲むことに恐怖感を覚えるようになったからだ。

 

だって、ホルモンを弄るって…!?

 

・100%完治するわけでもない

・飲んだからといって症状が悪化して再び手術することになる可能性は50%

・生理が終わるまでずっと飲み続けなければならない

 

さらに

内膜症の方のブログに副作用の不正出血の酷さと老化現象(顔が急に老け込む・白髪が増える・心がおばあさんみたいに穏やかになるなど)があるとちらほら書かれているのを見かけた。

 

生理の何が嫌だって、ずっと生理用ナプキンを使うことだし、老化は既に日々感じていて今一番気にしていることではないか…!

もう悪い印象しか抱かない。

 

で、そもそも

なんで完治しない薬を医師が堂々と勧めるの?

 

今回のケースに限らず、そもそも薬ってという話になってしまうと思うが

 

飲んだら進行が止められるのかもしれない。でも自分の中で完治すると確信を持てない薬を何年も飲み続けなければいけないというのには納得がいかない。

 

幸い今すぐ命に関わることほどではなく時間がある。生理痛もたいていの内膜症の人のように重くない。

それならば、薬を飲む以外で自分にできることを試してみたい。だから…

 

「飲みません」と医師に告げた。

 

「えぇ〜っ…!?」かなり呆れられた。

 

「経過観察しましょう」と言われたけど、医師の目は死んでいた。ほぼ諦められた雰囲気。

 

 

飲まないと言ったからには後戻りはすまい。

他の方法を試すしかない。

 

 

というわけで、ホリスティックなアプローチで病気と向き合うことにした。

 

 

致し方ない事態になれば飲まねばとは思っている。

早く飲んでおけば…なんて思う日がくるのかもしれない。

でも、体を診てもらうからには多少心に寄り添ってもらいたいのが私の本音。でもそれは今回叶わなかった。

飲む気にさせてくれる医師とご縁がなかったのも私の運命ととらえ、私なりに病気と向き合うことにする。

 

 

■どんな治療を受けるかは本人の自由

 

よく癌で闘病中だった芸能人が西洋医学ではない摩訶不思議な治療法を選択したから命を落とした、という報道のされ方をする。

 

「もっと違う方法はあったのに」

「あんな治療しなかったら」

「あれを勧めたのは誰だ?」

 

犯人探しが始まる。

 

あれは本人がそういう選択をしたまでで、他人がとやかく言う問題ではないと思う。

ましてや、有名な芸能人などは経済的にも良い治療を受けられる可能性が高いはずなのだから。

 

どういう治療をしてどう生きるか、どう死ぬか、その選択に文句をつけるのはお門違いではないだろうか。

 

 

 

 

■病気は自分の思い込みで作るものと考えると…

 

できた時に箇所だけにアプローチする対症療法よりも、東洋医学ホリスティック医療を駆使した方が再発もなく根治できる可能性が高い。

 

でも即効性はない。重篤な病気になってしまうレベルならおそらく強い思い込みを持っているため多くの時間が必要になり、あっという間に病気が体を覆って取り返しのつかない状態になるだろう。

 

それに薬のように「これさえやっていればいい」という具体的で決定的な治療法はない。

 

よく「奇跡的に病気が消えました!」という魔法のような記事も見かけるし、実際そういう瞬間もあるのだろうけど

 

ほとんどの場合は毎日、毎日、こつこつ衣食住を改善した上で生き方考え方が変わって、少しずつ病気が改善されていくものではないかと私は思っている。

 

 

緊急性がある場合は西洋医学、時間が許すのなら東洋医学ホリスティック医療でじっくり根本から治すのがベターだと私は考える。

 

 

鼻や喉に管を通されて自由に体を動かせなくて『生きてるだけ』って、本当につらい。

心でいくら叫んでも言葉を話せる状態でなければつらくても伝えることができない。絶望感でいっぱいになる。

 

 

私は術後すぐにあまりの辛さにもういっそこのまま…とさえ思ったくらい。

 

 

 

命あっての、というのもごもっとも。

 

 

 

でも、命を1日でも延ばすことと同じくらいその人の意思も尊重されるべきだ。

 

 

病気とどう向き合って、どう治療して、どう生きるか、またどう死ぬか、自由に選べる世の中になってほしい。

 

そのためにも元気なうちに延命措置についての可否の意思表明をしておくこと、健康寿命の大切さを実感した。

 

 

これで病院関連の話しはひとまず終了する。

 

 

 

最後に…

 

あれこれ勝手なこと書いてしまったが

 

 

 

 

医療従事者がどれだけ過酷な環境で働いているのか、今回の一件でとてもよくわかった。

 

 

コロ助と闘っている病院の大変さは想像を絶する。本当に頭が上がらない。

 

 

かつて医者や看護師に「気持ち」を渡す習慣があったが、なんか、賄賂とかそういうのではなく、

本当によくしてくれて「ありがとう」の一言で済ませたくないというか、本当に感謝しているのだという気持ちを伝えたくて、渡したいな…となんだか思ったのだ。

 

ただただ、感謝申し上げる。

 

命をつないでくれて、適切な処置をしてくださりありがとうございました。

 

おかげで、自分の体のこと、人生の進め方、修正することができました。

 

 

 

 

 

次回は最後に、この入院で役立ったアイテムを紹介する。